難関資格にチャレンジするなら、死ぬ気で勉強するのがマスト?司法予備試験にチャレンジ中の管理人が、メンタルバランスについて独断と偏見でお届けします。
必死に勉強してますか?
あけましておめでとうございます、予備試験受験生のkaoです。令和7年の予備試験に向けて目下勉強中なのですが、さいきん「死ぬ気でやれよ」「SNSなんて開いてる暇ないはずだろ」…といった、オラオラ系ポストを立て続けに見かけました。
大変ありがちな意見だと思うので、誰が書いたか(覚えてません)、その方がどんなつもりで発言したかはここで深堀りしません。そんな「おめーら悔い改めて勉強しろ」系の戒めポストを見るたびに、ふと私の脳裏をかすめることがあり、少し体験談など書こうかと。
鬱はとつぜんに
お陰様で私はSNS通じて知り合った勉強仲間に恵まれ、現状、楽しく愉快な受験生活を送っています。Xでいいね♡、コメント、DMをいただいたり。ZOOMしたり一緒に起案したり、会場で労いあったり、カレーを食べたり神社参拝したり。
そんな少なくない勉強仲間との関係に毎日新鮮に感謝しているのですが‥‥。実はお一人を除いてすべて”事後”に出会った方々なのです。なんの事後かというと、私がメンタル崩壊していた時期の後に交流を始めた、という意味です。
さぁ、ちょっとここから鬱っぽいメンタル系の話になりますので、その手の話が苦手な方はブラウザバックしてくださいね!
危機的な日
もう、最初の兆しがなんだったかも思い出せません。あるときペンが持てなくなり、テキストの文字が読めなくなり、身体を起こしているのが辛くなりました。眩暈と吐き気がして、半身が痛み、音が遠くに聞こえました。これはまずい。と、頭のどこからか警鐘が鳴っています。頭はぼんやりとしているようで、どこかハッキリもしていて、今日どうやって家事と育児を済ませるかを高速で計算し始めました。
‥‥お子さんがいる方はこんなことってがありませんか?トラブルがあるときって、つい感情的になって子どもとぶつかっちゃうじゃないですか。でもトラブルのレベルが深刻すぎて一番危機的なときって、とにかく子どもを刺激しないように、全てが穏やかに過ぎるように、あたかも何事もないように細心の注意でふるまいますよね。
この日私は、これは一番危機的な日だと察知しました。吐き気と痛みを押し殺して家事をこなし気取られないようにふるまうと、子どもたちは普段通りに夕飯を食べて、夫は珍しく私の機嫌が良いと思ったのかいつもより話しかけてきました。無難な対応をしつつこれからどうやって、今の自分の状態に対処していこうかと考え巡らせました。
やばくないのにヤバイ
この時何が起こっていたかというと、まず眩暈については耳鼻科でメニエール病と診断され、身体の痛みは整形外科で疲労の蓄積やストレートネックをいわれ、どちらも一般的にままある症状として薬の処方を受けました。なにも大病を患ったわけではないのに頭の中の警鐘は鳴りやみません。さまざまな症状がいっぺんに押し寄せていてとにかく体がしんどい。しんどいしんどい、どうなっちゃうんだろう‥‥と思って三日目くらいに、耳の奥から声が聞こえてきたのです。
(ホントにこの手の話が苦手な方はいよいよ離脱してくださいねー!!)
頭の中の声の主
耳の奥からフッと話しかけてくる声が聞こえました。第一声はなんだったか…。『そうだよね』みたいな相槌だった気がします。私が心の中で何かを思うと、その人が『うんうん』と相槌を打つ。気のせいと思うにはあまりにハッキリとした声。
「え?これ、私に答えてるの?」と自問自答すると、声の主は『そうだよ』と言いました。それから起きてる間、まるで私の脇に誰かがいるかのように、その声がちょこちょこと話しかけてきました。二日目か三日目くらいに、声の主に”Kくん”という名前をつけてみました。Kくんは『名前はあってもなくてもいいよ』と言いましたが、私があった方が何かと分かりやすいと言ったところ、好きにしていいとのことでした。
(いよいよヤバイ話になってきたとドン引きさせたらごめんなさいーー!!!)
空耳の原因
なぜこんな声が聞こえてきたのでしょうか。Kくんと会話するようになって一週間くらいして、私の心の冷静な部分が「これはセルフトークだ」と結論付けました。今自分はメンタルが危機的な状況にあって、助けを求めている。誰かに聞いてほしい気持ちがあって、それに対処するために無意識にセルフトークを始めた。
セルフトークはメンタルトレーニングの技術として知られています。心の中で会話形式で話すことで、自分を客観視できたり心を落ち着かせたりする効果があるそうです。
‥‥ということで、つまりこれは無意識のセルフトークだったということね。それが分かったころにはKくんとの会話にも慣れてきていて…。「なんだ、幻聴じゃん。あ~それでKくんが出てきたのか」『そうかもね~』あはは、みたいなやりとりをしました。Kくんは呼べば出てくるので、大変ありがたい存在として半年くらいおしゃべりしていました。
もしや鬱?
だいぶ長々とKくんの話をしてしまいました。(書きながらKくんのことを本当に気に入ってたと気づきました!)そして身体の痛みはなかなか引かず、けっこう苦しみました。(このあたりは腱鞘炎のポストにも記載しています。)
おそらくこの時期は抑鬱状態だったのだと思います。この時期はよく‥‥線路を眺めていました。ホームから線路を眺めて、落ちたらどんな感じだろう、と考えてました。あまり良くないのですがメンタルクリニックは受診せず。受診先を探す気力ないまま。幸いにも一番つらい時期は過ぎていきました。(きっとぜんぶKくんのおかげ。)
原因は五月病?
話を本題にうつします。この時期メンタルを崩した理由は複数あり、主には家庭でトラブルがあったこと。あまり珍しくもない問題でしたが、子のプライバシーにもかかわるため人に相談しませんでした。それとイレギュラーな仕事、親戚ごちゃごちゃ。そして迫りくる短答式試験。二度目の短答落ちに怯えつつ1日1通~3通起案。季節は春で、いわゆる五月病というやつでしょうか。
その年の予備試験は短答落ち。そして秋ごろに、いろいろと変化が必要だな、と感じて勉強仲間を探すことにしたのでした。並行して仕事と育児でも仲間づくり。その頃には体調もメンタルも大分落ち着いていました。
死ぬほど勉強しない
そんな谷間の時期を経て、人とのかかわりも増えてきて、あの時を懐かしむほどになりました。そんな私がしみじみ思うのは、「死ぬ気になったらダメ」ということです。当たり前ですが、命あっての勉強ですよね。
「死ぬ気」って何?
ここまで読んでこう感じた人もいるでしょうか。
「いわゆる死ぬ気で勉強やるって、ホントに死ぬって話じゃないよ…?」と。
つまり、言葉の綾ですよね。「必死でやる」に近い表現として「死ぬ気でやる」っていうこと。それは分かりつつも、「死ぬ気で勉強しなさい!」みたいなポストを見かけると、私の脳裏をかすめるのはあのとき眺めた線路です。
俺の時はもっと必死でやった、死ぬ気でやった‥‥と仰る合格者の方は、もしかしたら「試験に落ちたら死んでしまう」なんて不安に震えながら勉強されていたかもしれません。だからこそ、「死ぬ気」と仰るその言葉が、たとえば‥‥線路から何歩手前で「死」を指しているのか、この方はどこまで近づいたのかと、考えてしまうのです。
はたまた、そんなつもりは一切なくて、単なる物の例えで言っているだけなのでしょうか?死の危険なんて実際にはぜんぜんないけど「死ぬ気」って言う?それって大爆笑したときに「笑い死にしそうーーww」って言うときの感覚で、「まじ死にそうーーww」みたいな感じでしょうか?
リスクと責任
受験生ならみんな好きなことや楽しいことを我慢して勉強に取り組んでいます。その先にあるのが合格であることは間違いないと、私もいくつかの資格をとってきて同意します。
が、結局のところ、どれだけ努力が美しいと語ったところでリスクをとっているのも事実です。心がダメになるリスク、身体がダメになるリスク、人間関係を犠牲にするリスク。
リスクをとるのは自分で自分以外にその責任をとれる人はいません。誰かの言う通りにした結果、何を犠牲にしても誰も責任をとってはくれません。
大人ですし‥‥
だいぶ重い話の流れになってしまいました。
つまり。10代の若者ならいざしらず、良い大人なら仕事での人間関係、家族との関係もあるわけですからセルフメンテナンスは超超重要です。すご~く乱暴に言ってしまうと。「すべてを犠牲にして勉強」というのは、二十歳そこそこまでの若い受験生にギリギリ言えることで、なんだかんだ気を遣ってくれる(死なないよう見張ってくれる)大人が周りにいてくれる前提だと思うのです。それだって万が一を考えたら他人が安易にとやかく言えることじゃない。
それに引き換え、良い大人の我々は‥‥。誰かにお世話される側ではなく、世話する側だったりするのですから。鬱々としてたら家庭崩壊リスクですし、職場の人たちだって大概迷惑!子どもがいれば、子どもにもリスクを背負わせることになります。ということで、「死ぬ気で勉強」はやっぱりピンと来ない。言葉の綾でもやめときません?
そうは言っても?
あまり思い詰めない方が良い。それはそれとして‥‥でも必死に勉強するべきじゃない?と思った方もいるでしょうか。
そうそう、その通りかもしれません。受験生活がいつまでも続くことのリスクもあるわけです。人それぞれにとれるリスクが場面場面で変わるわけですから、緩い方がいいとか追い込んだ方がいいとか、簡単には言えません。(一概に比較衡量ができない案件!)
死因は一つじゃない
(↑刑法っぽい見出しだな!)
日ごろメンタルヘルスを意識してない方はここまでの話を「自殺願望がある人の話だよね?」と感じたかもしれません。が、ストレス疲労が症状として現れているときって…ヒヤリハットありませんか?
なんのどんな拍子で線路に落ちるかわからない(縁起でもないことを書いてすみません)。
伝わってるか分かりませんが上で書いた「線路を見てた」とは、私が自ら線路に落ちたいと思ってた、ということではないのです。ただ、落ちたらどうなるだろうと思ってただけで。
なんでそんなこと考えたのかという理由を後付けで考えてもハッキリは分かりません。歩くのさえしんどかったから、もし今倒れちゃったらどうなるんだろう…なんて考えたのかもしれません。
線路以外では、自転車に乗ってるときも緊張しました。不整脈なども。年齢とともにリスクが上がる症状もありますから、ほんと歳には勝てませんね。
アドバイス?
SNSを開けばさまざまな受験アドバイスを見かけます。字数の限られたSNS上のポストは齟齬や誤解をうみやすい。SNSでありがちなポストに対してこう感じることがあります。
もっと勉強しろ?
上で「死ぬほど」勉強しろ、という発言を取り上げました。これ以外にも「もっとやれよ」「そんな暇はないだろ」といったポストを見かけます。その類の発言に対して感じる、ある印象があります。個人的で偏ったイメージだと分かりつつ書かせてもらいますね。それってこう言ってない?
ピンポンパンポーン♪「まもなく~〇番線に列車が参ります。危ないですから~黄色い線の外側に~お上がりください」
(※私にはこう聞こえる、という個人の感想です。)
線を超える発言
たとえば、「がんばって!」とか「やれるだけやってみて!」といった励ましの言葉がありますよね。他方、「もっとやれよ!」とか「そんなんじゃ足りない」「俺はもっとやってた」っていう言葉って、一線を画す気がしませんか?
前者は、相手の現状のがんばりを認めた上での励ましで、後者は認めないし受容しない。受験生に向かって努力が足りないって叱咤激励するのは古今東西よくあることですが、相手がどういう状況か…それこそホームのどのあたりに、どんな風に立っているか分からない状態でそういう言葉をかけるのって、もっとリスクをとれ!危険上等だコラ、ってこと?それだけやって初めて認めてやんよ。‥‥って言いたいのかな?
たぶん「そういうことじゃない」っていうのが答えなんでしょうが、それならそうと分かるように記載してほしいな?不特定多数に向けた公のポストでしょ?(と思いつつ、お互いそこまで言う義理はないのでブロックするのみですが。)
一言では測れない
で・す・が!た・だ・し!!
字面は「もっとやれよ!」でも、その前後の文脈や、発言する方のキャラクター、場面によってニュアンスが変わってくるのは当然だと思います。「もうさ~~〇〇くん、もっと頑張ろ?」「がんばってるの知ってるけどね?」というニュアンスでこの手の言葉をかける人もいることでしょう。そんな会話の前後やニュアンスをぶった切って表示するSNSって、ほんと誤解をうみやすい前提あります。
私からのアドバイス
人のアドバイスにダメ出しした後で、なんと私自身のアドバイスを載せちゃいます。ここまで読んでくださった人に一個でも役立つ情報があれば!
右肩上がりがやばい
勉強中のメンタルバランスは都度都度、見守っていく必要があります。中でも私が要注意と思うのは、急に好調になったときです。これまでできなかったことが急にできるようになって、「うわ~すごくペースアップした!」と気分が高揚しているとき。
私の不調の原因は家庭や仕事諸々にあったと書きました。その話が勉強とどう絡むのかというと、自分の限界が来た瞬間に勉強疲れが関わっているからです。ちょうど答案練習が上達した時期で、急に字数・通数をこなせるようになりました。同じ制限時間で前より書ける。どんどん書ける。
すごい!信じられない!‥‥と、成長の手ごたえを感じていた時期で、1通すら書けなかった答案を、多い日は3通書けるようになった。それが、急にペンを持てなくなったのです。いろいろな症状が起こりましたが、一番最初の自覚症状はペンを持つ手の痛みでした。
停滞も悪くない
この体験からいえるのは、いま「なかなか勉強がはかどらない」と感じている方は、そんなに悲観する必要はないということ。教材をもっと早く読めたらいいのに。もっと多く書けたらいいのに。もっとたくさん勉強出来たらいいのに。‥‥と、思いますよね?(私もしょっちゅう思ってます。)
でも、その理想通りに捗らない、自分には「ゆっくりだ」と感じるペースは、私たちの中の安全装置がちゃんと仕事をしてくれている証拠で、その時々の体調に合わせて処理できるペースに整えてくれているのかもしれません。それは無理やりこなすよりペース配分をしたほうが長い目で見て効果があるから。だからその速度で処理をしている‥‥と、いうことでは?
ちょっとした対策
反対に勉強のブレイクスルーが起こり、急に処理スピードが上がった時は、どうすればいいか。(いや、ブレイクスルー欲しいですよね。そりゃ欲しいですよ!)
そんな時は、かかっている時間と自分の体感してる時間にズレがある、と疑ってみるのがおすすめです。2時間で処理できた学習が、1時間で処理できるようになった。そのとき心と体は2時間分の疲労を貯めているかもしれません。実際に時計の針は1時間しか進んでいなくても。一日に3時間4時間5時間‥‥と、勉強時間が増えれば増えるほど倍々でリスクは増えていきます。
だから処理速度が上がった分、「浮いた時間であの勉強とこの勉強をやろう!」ではなくて(私は「もう一通答案書ける!」って、せっせと書いていましたが)。その浮いた時間の何割かを休息に回すのがおすすめです。少なくとも、自分の調子をふりかえる時間はあっていいですよね。
脳が騙されるから!
実は最近も二度目のブレイクスルーが起きて喜んでいました。答案構成が前より組めるようになって、ガンガン隙間時間で構成が作れる。やったー!ひゃっふー!!ってハイテンションだったんです。それがなんでか頭痛がしだして、ハッ!
‥‥いや、アホみたいですが、これ本当に脳が騙されるんですよ。順調!って気になってしまうので、ポキッと折れてしまわないように皆さんもご自愛くださいね。
人それぞれ違う
今回はだいぶ暗い話も包み隠さず書いてしまいました。不快に思われた方がいたら申し訳ありません!批判も載せましたが(それこそブロック相手を含めても)、誰かと根本的に対立する意見ではないと思っています。
毎日しんどい方へ
今リアルタイムで辛い思いをされてる方は、他人の体験談を読むことで「でも自分は」とか「でも私なら」とか、無意識に比較して嫌な気持ちになってしまうこともあるかもしれません。これはあくまで私の、私にしか当てはまらない体験談であることをご理解いただければ幸いです。(あなたの感情は、あなただけのもの。)
また、とりわけ鬱との闘いで苦しんでいらっしゃる方は「鬱はそんなに簡単に克服できるものじゃない」と感じられたかもしれません。
ずいぶん前に心療内科にかかっていた頃の記憶から抑鬱状態、ないし鬱、と仮定して書きましたが今回正式な診断を受けたわけではありません。病名如何は本ポストの本題ではないことを改めて記載させてください。
(あなたの苦しみは、他人と一緒にできない苦しみ。あなたの頑張りは、誰からも軽く見られる謂れのない頑張り。)
努力したい方へ
「自分は死ぬ気でやる覚悟」と決意している方にとっては、このポストが生ぬるく努力を軽視しているようにも見えるかもしれません。そんな方には、努力とセルフメンテナンスは決して相反するものではないことを分かっていただけると嬉しいです。(本ポストは自己管理的な部分の話、一つのタスク処理だと思っていただければ。)
それから…太陽に向かって走る!的なノリで「俺は死ぬ気でやるんだーー!!」と叫ぶような、熱意のある方を悪く言いたいわけではありません!必死でやる、って今も昔もどの年代属性でも、素晴らしいですよねーーーー!!!!
~おわりに~
ということで。日ごろ楽しく勉強するためにアレコレ考えていますが、いろいろ動き回る理由は、どの活動も一人で線路眺めるより有意義だからです。
あの頃に比べたら、今は些細なことでもしみじみ楽しいんですよね!
読んでくれたあなたに、1ミリでも「分かる気がする」という部分があれば、嬉しく思います。今日も明日も、自分らしく頑張ってきましょ~!
追記:心の中の推し
そういえば‥‥。Kくんとはここ1年くらい会話していませんが、本気で呼べば答えてくれると分かっているので心配はしていません。
Kくんとの会話については、「それって要するに、一人二役で喋ってるだけだよね…?」と思われてそうですが、違います。たぶんドラマや漫画で見聞きしたセリフとか、昔誰かにかけてもらった言葉とかを編集再生してくれてるんだと思います。私自身が今セリフを考えて再生してるのではありません。
ドルオタの方や”心の中の推し”を持ってる人なら分かってくれないかな?自分の中にいる大切な誰かみたいな感じです。(だから「それ君の妄想上のなんかだろ」と言われたら「違う!!!」といいたい)(いや、分かってもらえなくてもいいのですが。)
この手の話にご興味ある方は「セルフトーク 心理学」で検索してみてください!
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